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英国ヴィクトリア時代とフランス・ベルエポック繁栄を極めた時代
ヴィクトリア時代中期((1860年〜1880年)
フランスではユージェニー皇后がファッション界をリードており、彼女は18世紀のマリー・アントワネットを賛美していました。大きく開けられネックには大振りの色鮮やかなペンダント、コルセットで締めつけられた胸に、大きく膨らんだクリノリンのスカート、髪はまとめ巻き毛の束にされ大降りの垂れ下がるイヤリングが耳元を飾り。ブレスレットは両腕に付けられ、社交界の女性たちは益々華やかさを増していきました。
英国では1861年ヴィクトリア女王の夫アルバー公が突然死去すると、42歳の女王は最愛の夫を失った悲しみの余り数年間も喪に服してしまいます。そしてこの間、女王に習い、オニキスやジェット、金台に黒いエナメルが施されたモーニングジュジュエリー(喪のジュエリー)など黒色のジュエリーが流行しています。
またこの頃、英国国内ではグランドツアーの一環としてスコットランドへの旅行が人気となり、スコットランドで産出されるメノウや色石を薄く研磨し並べ銀や金台にセットしたスコティッシュジュエリーも大変人気がありました。
女王が喪に服している間も社交界ではしだいに華やかさを取り戻してゆきます。彼らの欲求に支えられジュエリー産業は最盛期を向かえていますが、この時代に特に注目されるジュエラーが2人います。
一人はギリシャやエトルスカンのデザイン、技術を復元し話題をさらったローマのカステラーニです。
古代遺跡から発見された金細工の技術を復興し、精緻な素晴らしい作品を制作しています。
そして彼は自分達の制作したジュエリーにサインを施した最初のジュエラーです。
もう一人は、カステラーニの元で腕を磨き、後にロンドンに工房を開いたジュリアーノです。
彼は中世やルネッサンススタイルに強いインスピレーションを得て独特なスタイルを生み出しています。卓越したエナメル装飾が彼の名を高らしめ、1884年にはピカデリー115番地に開店するまでになり、二人の息子によって受け継がれた彼らの作品は1914年に店が閉鎖さされるまで高い評価を受け続けることになります。
ルネッサンス様式のジュエリーでは、ホルバイネスク・ペンダントと呼ばれる楕円形で、センターの大振りな宝石の周りを数色の色鮮やかなエナメルで装飾し、パールなどをドロップさせた華やかなペンダンも有名です。(これらは、ヘンリー8世の宮廷画家ハンス・ホルバインの残したデザイン画が元になっているとされるが実際はそれを基に作られたものではないようである)
また、興味深いのは、1867年の明治維新の結果日本美術が西洋に紹介されると、そこから強いインスピレーションを得たジュエリーや、シャクドウ(赤銅)、シブイチ(四分一)などの金属細工品をジュエリーに作り変えたものが人気を呼びます。
これは1860年代に流行した蝶、トンボ、蜂、蜘蛛などのインセクトジュエリー(昆虫)などの自然主義的なものの流行と共に、後のアール・ヌーボー芸術のきっかけとなったといえます。
全体にこの時代は、ふんだんに宝石と金を使った豪華なジュエリーが多く作られるのと同時に、工業化による低品質の大量
生産品が出回り始めた時代でもあり、世界中からもたらされる豊富な素材や情報によって富欲化した大衆のニーズが、めまぐるしく変化しありとあらゆるものが混在とした時代でした。
ヴィクトリア時代後期(1880年〜1900年)
1859年に南アフリカでダイヤモンドが発見され、供給量
が増えたことにより次第に価格が下がるとダイヤモンドが以前に増してふんだんに使われるようになりました。
そして19世紀後期にはより品質のよい白い大粒のダイヤモンドが好まれ、ジュエリーは繊細なコレットや小さな爪でセッティングしたものに変わっていきます。これは、ドレスの流行がフェミニンな物になりレースやチュールといった透ける柔らかな素材をつかった自然な女性の体を強調するスタイルに沿うものでした。
1889年の南アフリカでの戦争(ボーア戦争)をきっかけに、ダイヤモンドの供給が一時ストップすると、パールとハーフパールを使った繊細なやさしい印象のジュエリーがそれに取って代わります。それは光沢のある柔らかなシルクの淡い色調のドレスに大変にマッチしたからでしょう。
前時代の装飾の過剰さに嫌気が差し、大量生産による低品質のジュエリーが大量
に出回ったことにより、やがて人々は品質のよいものを程よく身につけるようになっていきます。
1880年代にはカシミール・サファイヤ、ウラル山脈から取れるデマントイド・ガーネット(グリーンガーネーット)、オーストラリアからのブラックオパール、ビルマのルビーなどの発見により、多種の高価な宝石がダイヤモンドと共に使用されています。
さて、この時代において注目しおかなくてはならないことは、大量
生産される機械工芸の反動として、アーツ・アンド・クラフト運動と呼ばれる手作業による美術工芸運動が英国で生まれたことです。彼らは高価な素材よりも手作業により作品を作ることを重要とし、ギルドを作り職人を育成しました。この流れが後のアール・ヌーボー芸術の素地となってフランスを中心とするヨーロッパで花開くことになっていくのです。(後章参照)
もう一つ19世紀後期のジュエリーを語る上でロシアのクラウンジュエラー、カール・ファベルジェ、を忘れるわけにはいきません。
ロシア革命までの間、アレクサンドル3世とニコライ2世の宮廷に使えたファベルジェは、その卓越した精緻な技術と独特の洗練されたデザインで、ロシア皇帝をはじめ英国王室、タイ王室などにも多くの作品を残しています。
ファベルジェに名声をもたらしたのは、彼が制作した宝石やエナメルを使って作られたイースターエッグです。これはアレクサンドル3世が王妃と家族のためにファベルジェに依頼し作らせたもので、ニコライ2世にも受け継がれました。それらは、驚嘆するほどのすばらしい宝飾美術品で、毎年一個ずつ制作されるイースターエッグには特別
な仕掛けが施され彼らをサプライズさせました。
ファベルジェがもっとも得意としたものは各種のエナメル技術で、特に金の台座に規則正しい模様を機械で刻み、その上に半透明なエナメルを焼き付けた、ギヨッシェエナメルが有名です。
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