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アール・ヌーボー その唯美的芸術運動
ポルトガルの港町リスボンに石油売買で財を成したクルベンキアンというアルメニア人が生涯に渡って収集した美術品を展示した美術館があります。その中にルネ・ラリックの作り出したジュエリーの最高傑作80点あまりが含まれています。
1895年頃から1910年頃までクルベンキアンはラリックのパトロンとして彼の作品を買い続けたのです。
アール・ヌーボーは1890年頃から1910年頃の間に起こった芸術運動です。
これは工業化され機械で大量生産されていくものに対する反抗ともいうべきもので、19世紀末に英国で起こったアーツ・アンド・クラフト運動の「素材の価格価値と歴史的な慣例にとらわれないクラフトマンシップ」の理想から生まれた精神を受け継いだものです。
1878年からロンドンを旅したルネ・ラリックがジョン・ラスキンとウイリア・ムモリスの思想に感銘を受け、非常に個性的で斬新なジュエリーの制作を始めました。
そのデザインの源泉の多くは日本美術と自然界からのインスピレーションから生まれたもので、昆虫、鳥、爬虫類、蘭などの奇怪な花をデフォルメしたそれまでに西洋ではなかった日本的な装飾で人々を驚かせ、センセーショナルを巻き起こしました。
またラリックは寓話やラファエロ前派などにも魅了され、裸身または着衣の乙女たちの流れるような髪で縁取られた、花や魚、蝶などと融合した天使のような女性像の作品を作りだしました。
これらの作品は彼の最高傑作に数えられています。
ラリックの作品は1900年のパリで開催された万国博覧会のオープニングで人々を魅了しグランプリを獲得しました。
そしてフランスでは、アンリ・ヴェヴェール、レオポルト・ゴートレ、ジョルジュ・フーケ、ルシアン・ガイヤールなどが、ベルギーではフィリップ・ウォルファーズ、スペインのマスイエラ、アメリカのルイス・コンフォート・ティファニーなどがアール・ヌーボーの作品を制作するようになったのです。
同時代のブシュロンやショーメなどもアール・ヌーボーの影響を強く受けた作品を残しています。
彼らが使用した素材は、素材の価値を重視するのではなく、あくまで美的特性で選ばれており象牙や動物の骨、ガラス、多彩
なエナメルなどや、ローズカットダイヤモンド、バロックパール、そしてオパール、ムーンストーン、トルコ石、アメジストといった半期石を使など多種多様に及んでいます。
左右非対称な造形は、身に付けられない大きさやデザインのものが多く、使い勝手を考えて制作されているわけではありませんでした。
この唯美的な芸術作品は。そのすぐれた芸性にもかかわらず短命に終わります。なぜならば、これらを真似た粗悪なイミテーションが出回ったことと、余りにも高価だったためもっとも裕福な人たちしか買うことが出来なかったからです。
着用するのが難しいこれらの作品は瞬く間に人気の凋落を迎えることになり、1910年にルネ・ラリックはパリのヴァンドーム広場の店舗を閉鎖しています。
アール・ヌーボーという芸術運動はヨーロッパの広域に広がりましたが、けっして世の中の主流になったわけではありません。ですから、今日この短い期間に制作された作品が市場にでるのは稀で、ジュエリーの枠を超え芸術性が極めて高いこれらの作品は、美術品的な価値も認められ世界中で人気も高く、大変高価なものになっています。
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