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アール・デコ スタイル そしてエステートジュエリーへ
1925年のパリで行われた現代装飾・産業美術博覧会(アール・デコ博)はジュエリーにまったく新しいスタイルを提示しました。
第一次大戦後、シャネルのファッションに代表されるように女性達はドレスからスーツに着替え、髪は短くされ、働く女性のために服装が流行します。
それに従いジュエリーも幾何学的な模様と直線を生かしたモダンなスタイルとなっていきました。
これらを後にアール・デコスタイルと呼ぶようになります。
戦争と革命によって欧州の力が衰えると、パリのジュエラーたちも革新的な作品をアメリカの重要な顧客に提供するようになっていきます。
女王や貴族達がファッションリーダーだった時代が終わり、今やアメリカ、ハリウッドの女優達の身に付けるカルティエ、ブシュロン、ショーメ、モーブッサン、ラクロッシュやヴァンクリーフ&アーペルのスタイリッシュなジュエリーが注目されるようになります。
そしてジュエリーと共に女性のファッションには、シガレットケース、パウダーボックス、リップスティックなどの装飾されたすばらしい宝飾品が欠かせないアイテムになりました。
また、アール・デコ様式と呼ばれるジュエリーには中国、日本、インドそしてエジプトなど異国のモチーフがデフォルメした具像のデザインが、プラチナの台にダイヤモンドと色石を組み合わせて表現されたジュエリーも登場しますが、これらの作品も幾何学模様の中に巧妙にデザインされています。
現在アール・デコのジュエリーは、現代のファッションにもマッチするスタイリィッシュなデザインとプラチナと高価な宝石を使ったゴージャスな作品が多く、カルティエなどが残したこの時期の作品は特筆すべきクリエーションと豪華さで今日大変高値で取引されています。
1929年の大恐慌から10年あまりは不況の波がジュエリー界全体を支配しました。
その後状況が改善されると禁欲的なものから大きく目立つデザインが流行し、それまで余り使われることがなかった安い値段で手に入る半貴石が用いられるようになります。
1937年にはしばらく使われることがなかった金が復活し、ダイヤモンドと半貴石を大胆に使ったジュエリーが作られています。
しかし、第二次大戦が始まると共に戦争が終わる40年代の終わりごろまではジュエラーにとっては厳しい時代でした。
その後、戦後のジュエリーは光ったままの金を大胆に使い大振りでいかにもゴージャスなジュエリーがアメリカの主流になっていきます。
こうしたアール・デコ以降のジュエリーを、エステートジュエリーと呼んでいます。
この個性的で実用的なジュエリーはアンティークと呼ぶには未だ早すぎますが、一流ブランドが残した作品の中には、その美しさが現代のハイジュエリーを凌駕している物も数多くあります。
その中で特に注目すべきものは、ヴァンクリーフ&アーペルが作った革新的な宝石のセッティング技術のインヴィジブル・セッティング(ミステリーセッティング)です。
規則正しく並べたバケットカットのルビーやサファイヤの側面
に作った溝に金属レールを通すことで表面にまったく金属が見えないように宝石をセッティングしています。
特に花びらや葉などを表現するのにマッチしたため、他のジュエラーにも模写
されましたが、恐ろしく手間と時間が掛かりおのずと大変高価なものになっています。
およそ250年余りのジュエリーの歴史を振り返り検証することにより、その時代に生まれたジュエリーの必然性を理解できたと思います。
ジュエリーは、現代ではまったく考えられないことですが20世紀の初め頃までは2〜3%の上流階級、10%程度の中産階級の人たちだけのものでした。
そしてそこには、流行のファションを楽しむということだけでなく階級社会の地位
、権威、財力、名誉を誇示するための象徴的な意味合いがあったのです。
20世紀に入ると世界戦争や革命がおこり、それまで世界の覇権を握っていたヨーロッパから王侯貴族の没落と共に世界経済の中心がアメリカに移っていきました。
そして、女性の社会進出が始まり女性は自分の意思でジュエリーを選ぶようになっていくのです。
何か新しいことが生まれ始まるとそれまで存在した何かが失われていく、歴史とはその繰り返しのようです。
しかしまた、何時の時代も失われた素晴らしい過去に思いを馳せ先人達の遺産から英知を学びそれを超えたいと思うのです。
2003年に発表されたカルティエの新作はまさしくアール・デコそのもので、ティファニーのそれはエドワーディアンスタイルのコピーといっていいものです。
しかし、その時代に作られたオリジナルのものには到底及ばない出来栄えに終わっています。
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